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2010年03月13日

中東の地へ、印刷技術を求めて

イスラエル紀行-中東の地へ、印刷技術を求めて-
日本水なし印刷協会会長 田畠 久義
水なし印刷用の刷版メーカーは、東レだけと思われがちですが、実は世界にあと2社あります。PresstecとJWPA会員でもあるイスラエルのVIM(ヴィム)社です。JWPAでは、DI機用の同社の水なし版(ポリエステルベース)を会員向けに輸入・販売しておりますが、昨年、アルミベースの完全ケミカルレス現像版を開発したとの情報が同社から入ってきました。しかも本社までくれば特別に見せてくれるというのです。
現在、水なし印刷の完全ケミカルレス現像版は、東レのINNOVA (イノーバ)がありますが、IGAS2007で発表されて以来、いまだに市販されていません。これはもう行くしかない!と、思いましたが、VIM社の本社はレバノン国境沿いのハニタ(Hanita)という町にあり、外務省の海外安全渡航情報によると、危険度が上から2番目(4段階)の地域です。躊躇しているうちに年が明けてしまいました。しかし業界や会員企業の発展のため、ついに2月10日から5日間、JWPAから五百旗頭(いおきべ)事務局長と私、東レから松本部長と小川氏の2名、計4名が決死隊?として、イスラエルに向けて出発することになりました。
<Photo00>4名の決死隊?
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イスラエルの地図
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イスラエルは、南北に細長い四国程度の大きさの国で、約700万人が住んでいます。人口の8割弱がユダヤ人、その他はアラブ人等で、首都はエルサレムです(国際的には未認可)。その歴史は古く、紀元前1280年頃のモーセ にまで遡ります。しかしその後は、まさにユダヤ民族と国家の存亡をかけた長い戦乱の歴史が続きます。公用語はヘブライ語とアラビア語ですが、ほぼどこへ行っても英語が通じます。訪問時の2月は、昼間気温が20度前後ととても快適でした。夏は非常に暑く、1〜3月がベストシーズンとのことです。
日本からは直行便がありません。韓国経由が最短だそうですが、我々はオーストリア経由で行きました。
<Photo01>テルアビブ 市内
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イスラエルの空の玄関はテルアビブ(TEL-AVIV)で、地中海沿いの、リゾート地を兼ねた大きなビジネス都市です。イスラエルへの入国はいたって簡単で、入国カードすら要りませんでした。ただ、パスポートにイスラエルの入国スタンプが押されていると、レバノンやサウジアラビアなど敵対するアラブ諸国では入国拒否されるそうです。
2月10日昼に成田を出発してテルアビブに着いたのが11日の午前1時。時差7時間を入れて約20時間の長旅でした。
2日目、朝からVIM社の方に車で迎えに来ていただき、いよいよハニタへ出発です。途中は、何の人工物もない畑や荒野が多く、住居などの建物は、町に集まって建てられています。パレスチナ暫定自治区のそばも通りましたが、ここは小さい建物が密集しており、境界線あたりを策で囲まれていました。紛争を感じさせるようなところは全くありませんでしたが、街並の違いからは貧富の差を感じました。
国の約半分を縦断しましたが、道路が良く整備されていて、途中での休憩を入れ、約3時間でハニタに到着しました。レバノン国境付近は小高い丘になっており、ハニタは国境のすぐそばにあります。緑に囲まれ、見晴らしも良く、拍子抜けするほど、静かで平和そうな所でした。
<Photo02>ハニタ キブツの博物館
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近くにはイスラエル独特の「キブツ」があったとのことで、その名残である博物館や屋外劇場のような跡地もありました。キブツは、集産主義的共同体で、構成員は主に農作業に従事し、社会主義的な生産活動をする生活共同体です。国内にはまだ多くのキブツが機能しており、外国人も住み込みで働く事が出来ます。この独特なキブツの存在はイスラエルの発展に大きく寄与してきたと言います。
<Photo03>ハニタ VIM社
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VIM社は、正式な社名を「VIM Technologies」といい、主に小サイズの刷版を製造・販売しています。すぐ近くにハニタ コーティング(Hanita Coatings)という防犯フィルムで有名な大手企業があり、そこにVIM社からポリエステルへのコーティングを外注しています。このことが、VIM社がハニタの地に工場を構える所以とのことです。
現在、ポリエステルベースとアルミベースの完全ケミカルレス現像の水なし版を製造していますが、アルミベースのものは、アルミの上にポリエステル版を貼り合わせたもので製造コストが非常に高くつきます。今回、アルミにIR吸収層を直接コーティングし、製造コストを大幅に削減したものを開発しました。守秘義務契約があり、詳しい話は出来ませんが、品質的にもコスト的にも十分満足できる完全ケミカルレス現像版とのことで、水なし印刷企業としても今後の展開に多いに期待するところです。5月にイギリスで開催予定のIPEXには完成版を出品するそうです。
また、水なし版ではありませんが、安価な市販のインキジェットプリンターを使用してCTPセッターが行うイメージングと同じことが出来る刷版も見せて頂きました。インキジェットプリンターによるイメージングは、他社でも開発段階として既に発表されていますが、同社のものはプリンターもインキも全て純正(市販)のものを使用するもので、プリンターメーカーのサポートがそのまま受けられるうえ、通常の用紙プリンターとして校正刷と兼用が可能です。発売されれば、数千万円はするCTP設備は全く不要になります。水なし用でないのが残念ですが、開発中とはいえ、ほぼ完成品で、近く発売されれば、CTP市場に大きなインパクトとなるでしょう。
<Photo04>アッコ レストラン「URI BURI」
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約3時間の工場見学の後、近くの歴史ある港町アッコ(Akko)に立ち寄り、そこのシーフードレストランで夕食をご馳走になりました。よく観光ガイド等にユダヤでは、ひづめが分かれていない豚などの獣、ダチョウなどの地を這う鳥、貝やタコなどの鱗のない水に住むものは一切ダメと書いてありますが、全くそのような様子もなく、料理も大変おいしく、十分に満足しました。
アッコは、18世紀のオスマン帝国時代の城塞都市として堅牢な城壁に囲まれ、歴史ある建物が多く現存する典型的なイスラム都市です。目前には地中海、すなわちメディテレーニアン・シーが広がり、まるで日本の某テーマパークそっくりの雰囲気でした。1799年にナポレオン率いるフランス軍が、アッコに攻め入ったそうですが、攻略は失敗し、エジプト遠征の分岐点となった歴史的な町だそうです。
3日目は、テルアビブのホテルの会議室で朝からVIM社の役員の方との商談です。2つの新しい刷版の、中国や日本における製造と販売に、東レやJWPAがどのようにかかわり、協力できるかを話し合いました。 約4時間におよぶ商談のあと、美しい海沿いのレストランで、おいしい料理を頂きました。
<Photo05>テルアビブ 地中海沿いのレストラン
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写真は、その時のものですが、右列の手前から3人目がVIM社CEO Avigdor Bieber氏です。
夕方からは、場所を変えてイスラエルのコンサルタント会社の代表であるZeev Savion氏にイスラエルの現状や今後の欧米の印刷業界の展望等についてプレゼンを受けました。
まず、イスラエルでは科学技術等の研究開発支援として政府による非常に手厚いMAGNETプログラムという政策があり、認可されれば、年間で最大数十万ドルもの支援(補助金)を受けられるそうです。研究の成果として利益が出た場合のみ何割かを国庫に納めれば良く、失敗した場合は、返還の必要はないそうです。日本のNEDOと似ていますが、規模は全然違います。このお陰でイスラエルでは、失敗や資金不足を恐れず、技術開発が盛んに行われ、多くの先端技術と優れた人材が生み出されています。VIM社にも小規模企業ながらドクターの学位を持つ研究者が2名もおりました。
資源に恵まれない日本も、世界で先進国として生き残るにはハイテク技術の開発とそれを行う人的資源しかないはずです。社会保障の充実も結構ですが、このような将来に向けた投資の必要性を痛切に感じました。
今後の欧米を中心とした印刷業界の展望については、WEB上の電子ブックや電子カタログが大きく台頭し、反面、用紙の印刷物は縮小していくとのことです。印刷の分野では、IC基盤等の電子印刷が伸びるとともに、いくつもの手間をかける高付加価値印刷や、大量生産のオフ輪のみが生き残っていくとの見通しでした。
4日目は、VIM社の厚いもてなしで、エルサレムと死海への観光ツアーを手配していただきました。
最初がエルサレムです。首都としての政治や都市機能のある新市街と城壁に囲まれた旧市街に別れています。旧市街には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地があることで有名です。
とりあえず新市街で車を降り、徒歩で城壁の中に入って、迷路のような旧市街の回廊を抜けて、ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」に着きました。
<Photo06>エルサレム 「嘆きの壁」と「岩のドーム」
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ここは崩壊したユダヤ教の神殿の外壁部分で、落ちる夜露がユダヤ人の涙を象徴しているようで「嘆きの壁」と呼ばれています。ちょうどユダヤ教の安息日の土曜で混雑していましたが、紙製の帽子をかぶって左側の男性エリアに入ることが出来ました。写真の左にある丸いドームは、イスラム教の聖地「岩のドーム」です。
<Photo07>エルサレム 「聖墳墓教会」
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続いて向かったのがキリスト教の聖地「聖墳墓教会」です。この教会はイエスが十字架にかけられたとされるゴルゴタの丘の上に建ち、教会内部にはイエスの墓の他、建設当時のゴルゴタの丘の岩がありました。
次に向かったのが死海です。死海は海面下400m超の、世界で最も低地にある塩水湖で、流れ出る川がなく、乾燥地帯にあるため、水が蒸発して通常よりも10倍の約33%の塩分濃度になっています。そのため、非常に浮力が強く、新聞を読みながらプカプカ浮かんでいる写真は世界的にも有名です。また一部を除いて生物は住めず、死海と呼ばれています。
エルサレムを出て、車で10分も走ると起伏のある乾燥地帯が現れます。岩肌に海抜0mの表示が見えてからも車はどんどん低地へ降りていき、30分ほどで、大きな湖「死海」が見えて来ました。
<Photo08>死海 海水浴場.
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<Photo09>死海 泥エステ
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昼食のあと、早速、海水浴場に行き、死海に入りました。さすがに水はまだ冷たかったですが、まさにプカプカといった感じで、貴重な体験が出来ました。湖底には粘土質の大量のミネラル分を含む黒い泥があり、肌につけるとエステ効果があるそうで、皆さん真っ黒になっていました。また通常の沿岸より400mも厚い大気の層は、紫外線を良くさえぎり、ほとんど日焼けはしないそうです。
最終日は、朝3時にホテルを出て、空港に向かいました。入国時に比べ、出国は大変煩わしく、出国審査というよりも飛行機に乗るためのセキュリティチェックが非常に厳しいものでした。何とかパスし、行き同様20時間の時間をかけて、15日の9時過ぎに無事、成田に到着しました。
今回の旅行では、特に戦争や紛争を連想させられることはありませんでしたが、至る所に国旗が掲揚され、国としての一体感を感じました。また、空港や首都での厳しい警備体制には、人々の危機意識の高さを感じました。周辺に敵対国を抱え、資源も決して豊富とはいえない中にあって、高い技術力と世界屈指のハイテク国家への成長には、この危機意識の高さの中でこそ生まれた変革や技術開発への旺盛なチャレンジ精神と豊かな創造力があったればこそと、思えました。
今や日本はGDPを中国に抜かれつつあり、国の借金はGDPの2倍以上です。もはや経済大国などと言っていられる状況ではありません。イスラエルのように危機意識を常にもって、人的資源の育成と次世代の技術の開発、そして変革の必要性を強く感じた次第です。
(日本印刷新聞社「印刷界」3月号より転載。)